自分自身疑心暗鬼
自分のことが嫌いだ。
そんなことを言う人はたくさんいると思うけれど、本当に心の底から自分自身嫌っている人は、自分磨きをしないし人と仲良くしようとしないしそうしようと心がける自分でさえ嫌いだと思う。
だからSNSでたまにみる自分が嫌になると言った内容、呟くのはいいけれど、眩しすぎて泣きたくなる。
自分のこと嫌いだったら、自分へのご褒美とか言って美味しいもの食べないよね?
自分のこと嫌いだったら、たとえ加工していても自撮りあげたりしないよね?
自分のこと嫌いだったら、そもそもSNSでデートとか報告できないよね?
結局それって、心のどこかで自分自身に対して少なからず愛はあるのだと思う。
嫌いなままだったらきっと、生きることすら難しい。
私はどうだろうか。
自分のことは嫌いだけど、こうして文句を言う相手とたいして変わらないのだろうか。
逆も然り。
自分のことを好きだと認めると、同時に「どこが?」といった疑問があふれ、自分への問いに答えることができないまま、また自分を嫌いになっていく。
かといって、例えば服を選んでいる時や化粧をする時、最大限自分をよく見せられるようにと必死に努力しているつもりである。その時間は、少なくとも自分がとても良いと思って鏡に向かう。
私は自分自身をどう思っているのだろうか。
自己紹介などで、長所を言うのが苦手だ。
客観的に見て長所と言える長所はないと思っているし、自分の長所が本当に分からないから。
短所はいくらでも見つけられる。
その部分が嫌いな部分だから。
友人にいいところを言われても、内心信じることができていない。そんな自分も嫌い。
私は自分が好きなのか嫌いなのか、いまだに分からない。好きとも、嫌いとも、言い切れないままでいる。そんな人間も大人になれるのだから、自分を好きと言える全ての人間、素晴らしいじゃないか。どうしたらそんなに純粋に生きれるの。教えてほしいよ。
こうやってすぐ人に答えを求めるところも嫌い。
病名があるなら教えてほしい
昔から本音を話そうとすると涙が出てくる。
真剣に話し合いたい時も、親と喧嘩する時も、友達と少し言い合いになる時も、涙目になる。大泣きするわけではない。涙ぐんで、声が詰まるような感じ。ただ、話がしたい時にこうなるものだから、どうにかして欲しい。
春からの一人暮らしの物件を決めるために、いくつか見学をしてきた。それを両親に伝えたら、今すぐに決めなくてもいいのではと言われ、見てきた物件と真逆の条件を提示された。
一人暮らしするの、私なのだが。
住みやすさも雰囲気も良し悪しを決めるのは私なのだが。
都会で一人暮らしをしたことのない親に何故そこまで言われなければいけないのか。
電話越しに、案の定涙ぐみながら言い合った。
言いたいことはたくさんあった。
上記のことを言えたらどれだけ良かったか。
全然話せない。何故か出てくる涙のせいで。
こんなことでは一生私は大事な話ができない。生きていく上で、話し合いや意見のぶつけ合いは絶対避けては通れないはずだ。自分の不甲斐ないせいで人間関係が拗れるのは御免だし、かと言って何か対処方法があったわけでもない。
話したいことが話せないと決まって苛立ち癇癪を起こし気味になる。いい加減にして欲しい。
20年生きてきてこのままなら、もう一生このままなのだろうか。
拝啓 愛しの君へ
2021年1月12日、我が家で飼っていた5歳のウサギがこの世を去った。
わたしは、その前の日まで君のそばにいた。
その日は何故か朝から元気が無くて、大好きなにんじんの葉っぱも残していた。
母は、1ヶ月に一回くらいこういう時があると言っていたから、そのうちに良くなるだろうなと思いつつ、小屋の上で眠そうにしている君を撫でてあげた。私の手に頭を寄せてくる癖は、その時もあったから、次に会いに来た時はまた元気な姿を見れると思っていた。まさか、死んでしまうなんて。
もっと写真を撮っておくべきだった。携帯のアルバムには600枚近くの写真がある。
それでも足りないと思った。これからもっと増えていくと思っていたし、何気なく動画で撮った、君の眠る姿が最後に見た姿なんて嫌じゃないか。
今現在、君の遺体は私の家に安置されている。火葬は1/16。それまで、君の、魂の抜けた身体は、保冷剤と一緒にいる。
家族は君の遺体を見れたのに、私だけ、私だけが見ることができなかった。この文章を書いている今も、それが悔やまれる。悔しくて、涙が止まらない。
誰も息を引き取った瞬間は見ておらず、一匹でひっそりと死んでいった。でも、その時君は、ウサギ用のヒーターが置いてある小屋にいたらしいね。せめて、最後に寒い思いをしなくて良かった。
ただ、今も一匹でいる君の身体を撫でてあげられないのがつらいよ。次に会うのは、骨になった時だ。君にもう二度と触れられないのが、いつまでもつらい。
あの時、帰らずに一日一緒にいれば良かったね。一匹で、苦しい思いをさせてしまったかな。両親は、私が東京に帰ったあと、動物病院に連れて行って、栄養剤を打ってもらったと言っていた。母はそれを、余計に苦しませてしまったかもしれないと悔やんでいるが、君はもう、どのみち生きることが難しいほどに歳をとっていたんだよね。気付いていたけど、気付きたくなかったなぁ。
君が家に来た時は、2015年10月11日。
本当に本当に小さくて、初めて私が世話をすることになった生き物だ。
名前は、小梅。女の子だと思って飼い始めたんだよね。その後男の子だということに気付いて、なんだか似合わない名前になってしまったけど、変わらず小梅と呼び、しまいには「めっちゃん」と呼んでいた。もし気に入ってなかったらごめんね。でも、とってもいい名前だよ。
それから約3年半、私は君の世話をした。東京に行って一人暮らしをするようになってからは、もう世話をすることができなくなったどころか、なかなか会えなくなってしまった。たまに帰省する度に、忘れられていないか、思い出してくれるかと思い悩んでいたけど、君は私のことを覚えていてくれていたのか、ケージの中で私の後を追いかけ、撫でればたまにマウンティングをしてきて、近くに座って寝ていたりしてくれたね。本当に、たまらなく嬉しかったよ。
ちなみに、マウンティングをする癖は、本当は良くないんだよね。病院の先生に注意されたことがあるね。たしか、君の性格を甘ったれ小僧だと言っていた。でも私は、甘ったれ小僧のままでいいなと思っていたよ。だって、それでも君のことが変わらず可愛くて愛しくて、何不自由なくのびのびと生きて欲しかったから。
これは、君を最後に診てくれた病院から送られてきたものです。君は今、「虹の橋」にいるのかな。もしそうだとしたら、変わらず美味しいものを食べて、自由に駆け回って、好きなだけ寝て、楽しく過ごしているのかな。
「虹の橋」まで私が行くのは、まだまだ先かもしれないし、もしかしたらすぐに行ってしまうかもしれない。その時は、私のこと思い出して迎えに来てね。一緒にお空に行こうね。
5年と93日。君が私の家で過ごした日数です。
短いのかもしれないけど、君は私にとって、とても大切な、愛しくて大好きなかわいい家族です。いなくなってしまって、とても寂しい。
大好きだよ、小梅。君は私のことを、どんな風に思っていてくれたかな。君にとっての1番は、私がいいなぁ。
伝えたいことは、ありがとうだけではないし、ごめんねもたくさんあるけど、次に会った時は、とりあえずまた、君の頭を撫でさせてほしいな。君は言葉を発さないから、何を喋っているかは最後まで分からなかったけど、また会う時までには君の言葉を理解できるように頑張るからね。最期を看取ってあげられなくてごめんね。今、隣にいてあげられなくてごめんね。
しばらく私は泣いてばかりだけど、お空から、鼻をヒクヒクさせながら、見守っていてください。
心から愛しています。
君の家族より
葛藤している時間も生きている
もう都会に戻らなければならない。
1人で暮らしていかなければならない。
母親の顔のシワ、父親の増えた白髪、祖母のより弱くなった聴力、飼っているウサギの迫る寿命、死んだ祖父の声を忘れていること、気付きたくなかった。
ずっと今のまま、私は地元にいて、同じ時間を過ごせたら良いのに。
死に向かうのが怖い。
自分という存在が消えてしまうのが怖い。
ふとした瞬間に、自分はいつか死ぬのだと気づいてしまうのが怖い。
自分よりも先に家族が死ぬと、分かっていても怖い。
こうして悩んでいる間にも時間は進む。死に向かって生きている。
祖父が死んだ時、骨になった姿を見た時、その骨の感覚を知った時、悲しいだけではなかった。
死ぬことは怖いことだと、確信した瞬間でもあった。
私は死にたいと考えながら死にたくないと考えてしまう。いつも「死にたい」と「死にたくない」が存在する。これは、誰しもが絶対に思い悩むことだろうか。
歳を重ねるごとに、人生を純粋に楽しめない自分になってきている。
どうしたら楽しめるのだろう?それは、死を受け入れた瞬間なのか?
もしそうだとするのなら、私に人生を楽しめる日は来るのだろうか。
ああ、また、こうして考えて文章を打っている間にも、死に向かって生きている。
漠然とした不安の中、今日も
こんなに綺麗な冬景色を見たのはいつぶりだろう。
綺麗、と感動して心踊ったのはいつぶりだろう。
どれだけ都会に憧れても、やっぱり私は自分の地元が好き。冬に雪が積もって氷柱が見えるこの景色が好きだ。
あと数ヶ月で、私は都会で社会人となる。
日々の暮らしをするのが精一杯になりそうな、お金のことでいつも悩みそうな、私が一番なりたくないもの。
どうしていつまでも子供ではいられないんだろう。
大人でいる期間は20年以上あるのに、子供でいる期間は20年ちょっとしかない。不平等だ。
子供として甘えさせてくれよ、世間。
そんなこと言ったら世界が壊れるのか。
難しいね。
冬はとても空気が澄んでいて、世界が白一色で好きだ。寒いけどその寒さが心地よい。
でも、都会の冬は嫌い。
空気は年中澱んでいるし、たいして寒くもない。ビルの鉄色しか見えない。
白一色の冬をずっと過ごしていたい。
めでたく死にたい
もうすぐ20歳を迎える。
今年の誕生日は緊急事態宣言の中、成人式は来年になり、特に友達に会う約束も無く、ひっそりと迎える。
こんなはずではなかった。
大人になるってもっと華やかでめでたい、楽しく嬉しい祝いであるはずなんだ。
一番不憫な若者の世代なのではないだろうか?
世間のせいで、私達は大迷惑だ。
クラスターフェスなんてものをやっていた時があったけど、正直あの時は、大人ってこんな馬鹿なんだと思ってしまった。そして今からそんなものの仲間入りをすると思うと吐き気もする。
もうすぐ20歳を迎える。
1番、旬で楽しくて良い時期だと思う。
だから死にたい。
これ以上老いに苦しむことなく、若者から老害と罵られることなく、1番いい自分で死にたい。
生き恥を晒すのはご免だ。
働く苦労も知らず、世間の苦労も知らず、一丁前に酒や遊びを覚えて達観して、楽な人生のまま死にたい。
誕生日はまだもう少し先だけど。
おめでとう私。
そして出来ればさようなら私。
老いること、生きづらい世の中で生きること、投げ出せるのなら投げ出したい。
うらやましいの大暴走
泣きたくなるほど才能がない。
才能と言っても、私の場合は芸術的な才能に偏りがちだけど。
10年習ったピアノは、褒められた覚えが特にない。そして自分より上のレベルの人が多くいることに絶望して辞めた。
中、高と続けた部活でやったクラリネットも、褒められた覚えがない。定期演奏会のパンフレット紹介では、楽器の技術に関して私だけ書かれていなかった。
自分で絵を描くことも好きだけど、練習してもからかわれたり笑われたりしていつしか書かなくなってきていた。
書道も、せっかく入学した学校で伸びることはせず、上手いとも下手とも言われない評価を受けた。
可も不可も言われないことがどれだけ悔しいか。他人の評価を気にしていては伸びない?私は他人の評価も欲しい。自分で自分を褒めるだけでは自己満足で終わってしまうからだ。
私はどの部分を取っても普通の人間なのに、それを認めようとしない自分が何年経っても消えてくれない。
だから今は、芸術に限らず、あらゆる面で、友人や有名人、嫌いになって疎遠になった人間にまで、何か「うらやましい」という気持ちが絶えずある。
どうしてこんなに特別を求めたがるんだろうなぁ。
何か一つでもいいから私に才能をください。
ほら、文才もない。